第82話 僕らの軍師諸葛亮達が真面目すぎてピンチだった件1
- 2017/10/24
- 20:05
今回は久しぶりに三国志の話題を。
真面目な軍師にスポットを当ててみました。
※画像は三國志12(コーエーテクモゲームス)のものを使用しています
case01 諸葛亮孔明
蜀漢のために尽くした名軍師と言えばこの人。
劉備に「三顧の礼」で迎えられ、彼の死後は劉禅に仕えた。
圧倒的な戦力差のある魏に対して何度も北伐を強行。
普段の政務のほか、部下に任せきれない仕事までこなす孔明。
凡庸な後主・劉禅の面倒見にも悩まされる。
やがて五丈原で体調を崩し死去。
彼の一日の睡眠時間はわずか3時間でした。
画像にもありますが、史実の孔明は軍略謀略よりも政治が得意。
赤壁の戦いで交渉役を務めたのは事実でしょうが東南の風は吹かせていません。
南蛮討伐の逸話もフィクションが多いです。
case02 荀彧文若
「二虎競食の計」「駆虎呑狼の計」などの策略を考案した名軍師。
曹操から「張良の再来」と言われ、喜んで迎えられた。
やがて曹操は魏公の身分を欲しがるが、彼は猛反対する。
王、公は皇族しか就任できない身分だからである。
病気と称し引きこもる荀彧に曹操からお見舞いの食べ物が届く。
しかし中身は空っぽ(お前はもう要らん、という意味らしい)
荀彧は絶望して死んでしまった。
真面目で堅苦しい人物と思われがちの彼だが、
日常の会話や作戦会議の時は相手と笑いあいながら話すなど
人当たりは悪くなかったらしい。
case03 陸遜伯言
文武両道な呉の名参謀。
周瑜、魯粛、呂蒙とならぶ軍師とされる。
荊州に居座る関羽の打倒し、敵討ちに来た劉備も撃退する。
魏方面にもにらみをきかせ丞相(宰相)にまで昇格。
しかし晩年は孫権の後継者の件で主君と対立。
年長のほうに跡を継がせるのが当然だと答える。
孫権の怒りを買い辺境の地へ流されてしまう。
病気を理由に引きこもるが、主君の意地悪は止まず。
何通もの問責書を送りつけられ最後は憤死。
質素倹約を重んじ、清廉な性格だった陸遜。
彼の家には遺産らしきものは残っていなかった。
case04 徐庶元直
軍師不在に悩む劉備にとって、最初の参謀になった人物。
その才知により曹操軍を撃破する。
曹操は劉備軍の新軍師が徐庶であることを知ると
謀略を使ってスカウトすることを画策。
徐庶の母親を人質にとって彼を自陣営に呼び寄せてしまった。
母親は怒り嘆き、自殺してしまう。
今後曹操のためには一切の策を立てないと誓う徐庶であった。
親孝行で義理に厚い真面目な性格。
母が捕まったために曹操に下ったという話は正史にもある。
case05、06 田豊&沮授
田豊、沮授は袁紹軍の良識派参謀。(画像は田豊)
官渡の戦い(VS曹操)では二人ともまじめに持久戦を進言した。
だが短期決戦派の意見を容れた袁紹は出陣してしまう。
しつこく主君を止めようとした田豊は投獄された。
袁紹の幕僚たちはもともと仲が悪い者が多かった。
官渡の決戦でも裏切者を出してしまい、
10倍の兵力を持ちながら、まさかの敗北。
袁紹は「あの時田豊の意見に従っていれば」と後悔する。
だが他の参謀は「田豊は牢の中で敗戦を笑っている」と讒言。
田豊は袁紹に殺されてしまった(演義では事前に処刑を察知して自殺)
沮授も曹操の捕虜になったが脱獄をはかり死亡した。
田豊と袁紹の仲は最悪と言われている。
袁紹が暗殺されそうになった時、彼を救ったのは田豊。
それなのに袁紹は文句を言って叱りつけたとか。
case07 陳宮公台
もとは董卓暗殺に失敗した曹操を捕まえた役人。
曹操の気概に感じ入り、身分を捨てて同行することになる。
しかし曹操はストレスを起こし、匿ってくれた親戚を皆殺しに。
ろくに反省しない曹操を見限って出ていく。
その後は呂布の参謀として登場する。
主君は当然の如く陳宮の言う事を聞こうとしない。
呂布の滅亡と同時に捕縛され殺害された。
「陳宮の家族を保護する」という条件つきで。
懸命で博学な人物と思われる陳宮だが、
なぜ呂布に仕官したのかは謎となっている。
よっぽど曹操が憎かったのかもしれないが、
他に手段を選べなかったのだろうか。
今回はここまで。
真面目な文章ばかり読んでいても飽きてしまうと思うので
真面目な軍師にスポットを当ててみました。
※画像は三國志12(コーエーテクモゲームス)のものを使用しています
case01 諸葛亮孔明
蜀漢のために尽くした名軍師と言えばこの人。
劉備に「三顧の礼」で迎えられ、彼の死後は劉禅に仕えた。
圧倒的な戦力差のある魏に対して何度も北伐を強行。
普段の政務のほか、部下に任せきれない仕事までこなす孔明。
凡庸な後主・劉禅の面倒見にも悩まされる。
やがて五丈原で体調を崩し死去。
彼の一日の睡眠時間はわずか3時間でした。
画像にもありますが、史実の孔明は軍略謀略よりも政治が得意。
赤壁の戦いで交渉役を務めたのは事実でしょうが東南の風は吹かせていません。
南蛮討伐の逸話もフィクションが多いです。
case02 荀彧文若
「二虎競食の計」「駆虎呑狼の計」などの策略を考案した名軍師。
曹操から「張良の再来」と言われ、喜んで迎えられた。
やがて曹操は魏公の身分を欲しがるが、彼は猛反対する。
王、公は皇族しか就任できない身分だからである。
病気と称し引きこもる荀彧に曹操からお見舞いの食べ物が届く。
しかし中身は空っぽ(お前はもう要らん、という意味らしい)
荀彧は絶望して死んでしまった。
真面目で堅苦しい人物と思われがちの彼だが、
日常の会話や作戦会議の時は相手と笑いあいながら話すなど
人当たりは悪くなかったらしい。
case03 陸遜伯言
文武両道な呉の名参謀。
周瑜、魯粛、呂蒙とならぶ軍師とされる。
荊州に居座る関羽の打倒し、敵討ちに来た劉備も撃退する。
魏方面にもにらみをきかせ丞相(宰相)にまで昇格。
しかし晩年は孫権の後継者の件で主君と対立。
年長のほうに跡を継がせるのが当然だと答える。
孫権の怒りを買い辺境の地へ流されてしまう。
病気を理由に引きこもるが、主君の意地悪は止まず。
何通もの問責書を送りつけられ最後は憤死。
質素倹約を重んじ、清廉な性格だった陸遜。
彼の家には遺産らしきものは残っていなかった。
case04 徐庶元直
軍師不在に悩む劉備にとって、最初の参謀になった人物。
その才知により曹操軍を撃破する。
曹操は劉備軍の新軍師が徐庶であることを知ると
謀略を使ってスカウトすることを画策。
徐庶の母親を人質にとって彼を自陣営に呼び寄せてしまった。
母親は怒り嘆き、自殺してしまう。
今後曹操のためには一切の策を立てないと誓う徐庶であった。
親孝行で義理に厚い真面目な性格。
母が捕まったために曹操に下ったという話は正史にもある。
case05、06 田豊&沮授
田豊、沮授は袁紹軍の良識派参謀。(画像は田豊)
官渡の戦い(VS曹操)では二人ともまじめに持久戦を進言した。
だが短期決戦派の意見を容れた袁紹は出陣してしまう。
しつこく主君を止めようとした田豊は投獄された。
袁紹の幕僚たちはもともと仲が悪い者が多かった。
官渡の決戦でも裏切者を出してしまい、
10倍の兵力を持ちながら、まさかの敗北。
袁紹は「あの時田豊の意見に従っていれば」と後悔する。
だが他の参謀は「田豊は牢の中で敗戦を笑っている」と讒言。
田豊は袁紹に殺されてしまった(演義では事前に処刑を察知して自殺)
沮授も曹操の捕虜になったが脱獄をはかり死亡した。
田豊と袁紹の仲は最悪と言われている。
袁紹が暗殺されそうになった時、彼を救ったのは田豊。
それなのに袁紹は文句を言って叱りつけたとか。
case07 陳宮公台
もとは董卓暗殺に失敗した曹操を捕まえた役人。
曹操の気概に感じ入り、身分を捨てて同行することになる。
しかし曹操はストレスを起こし、匿ってくれた親戚を皆殺しに。
ろくに反省しない曹操を見限って出ていく。
その後は呂布の参謀として登場する。
主君は当然の如く陳宮の言う事を聞こうとしない。
呂布の滅亡と同時に捕縛され殺害された。
「陳宮の家族を保護する」という条件つきで。
懸命で博学な人物と思われる陳宮だが、
なぜ呂布に仕官したのかは謎となっている。
よっぽど曹操が憎かったのかもしれないが、
他に手段を選べなかったのだろうか。
今回はここまで。
真面目な文章ばかり読んでいても飽きてしまうと思うので
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